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ミネラルウォーター2011年3月

ミネラルウォーターに関係するもっとも印象に残っている記憶は2011年3月のものだ。
東日本全土を襲ったあの大地震は北の果て北海道に住むわたしにも間接的に影響を与えたのだ。
わたしには東京に親戚がいた。
地震に引き続いて日本を震撼させた原子力発電所の事故の結果、首都圏では水道水を飲むのが危険であるとの情報が流れ、人々はミネラルウォーターを買い占め、東京のスーパーというスーパーか逅・ェなくなってしまったらしい。
そのため親戚が我が家に水を送って欲しいと頼んできたのだ。
幸いわたしのまわりの店にはまだかなりの水が店頭に並んでいた。
わたしと妻はスーパーで大きな水のペットボトルをいくつも購入し、宅急便で東京の親戚の家にそれを何回も送った。
地元の水道水を送る方法も考えたが、先方はミネラルウォーターでないと安心できないようだったので、結局は購入して送ることを繰り返すことになった。
ほどなくその親戚から、子供をしばらく預かって欲しいとの要望が届いた。
北海道に住んでいると、地震の影響はマスコミを通じて入ってくるものがほとんどで、なかなか実感は沸いていなかった。
全国で過剰とも思える節電ブームが起きたときも、津軽海峡を越えられる電力にはかなり低い限界があるとのことで、わたしは余り節電に協力的ではなかった。
それが突然、放射能の危険を避けるために、親戚の子供を預かることになったのだから、ちょっと驚きだ。
まあ嫌いな親戚でもないし、日本中でたくさんの人が直面している苦労を思えば、子供一人くらい預かるのはたやすいことだ。
わたしは即答でその申し出を受け入れた。
どうやらその親戚は、放射能物質が首都圏に拡散している状況を嫌がっているというよりも、福島原発の制御に失敗して大事故になる可能性を気にしているようだった。
万が一にもその事故が発生したときに子供だけでも被害を受けない場所においておきたいと思ったようだ。
その気持ちはわかる。
現にテレビニュースでも、まるで疎開のように、西日本や北海道に子供を一時的に避難させる話が報道されていた。
預かった子供はすでに高校生だったので、一人でけっこう勝手に行動していた。
親に水を送る作業も彼の仕事になった。
学校は春休みということで、休みについても心配はいらない状況だった。
彼は勉強したければ図書館へ行き、夜はわたしたちと一緒に食事をした。
それはほんの二週間程度のことだった。
状況が落ち着き、彼が帰ることになったとき、わたしたちは彼を千歳空港まで見送った。
そこで多少のお土産を与え、海老やイカの刺身で食事をさせて送り出した。
北海道にいる間、彼はミネラルウォーターには苦労しなかっただろう。
それは彼にとって、東日本大震災の記憶の中の重要な要素の一つになったかもしれない。
結桙フスーパーには水がまったくなかったのに、札幌のスーパーにはたっぷりの水があった。
節電も大してしていなかった。
放射能についても誰も身近なものとは考えていなくて、テレビで放送しているだけの他人事だ。
それがあの地震の後の北海道の様子だったのだ。
彼がいつか地震について何かを考えるとき、北海道と東京のギャップをどう解釈するだろうか。
それがわかるにはもうしばらく時間が必要だろう。

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